【鬱】とても簡単な原則に気がつきました
年末年始の心身の推移
体調不良に引っ張られて軽く鬱りました。
- 体調を崩す、または疲労がたまる。
- 心に余裕がなくなる。
- 悲壮な気分になる。
- 長期の悲壮感に耐えられなくなる。
- 自分は生存競争をくぐり抜けられないダメな人間だと考える。
- 死にたい、死ぬべきだと考える。
(参照: 【年頭の抱負】Shall We 断酒? - すたらブログ)
1月9日の夜が峠でした。
つらかった… (-_-;)
動物について気になった記事
体調不良でずっと自室で寝ていた2013年12月30日に、下記の2つをブックマークしていました。
(参照: はてなブックマーク - sutara_lumpurのブックマーク)
人間だけでなく、他の動物でも頭脳に余裕がある。
その余裕で、生存に特に関わりないことも考え、行動している。
生存の妨げになることすら行っている。
とはいえ、あのライオンも空腹になれば子牛を食べるでしょう。
でも、それでいいんです。
子牛を助けたのは、頭脳の余裕が生んだ気まぐれなんですから。
余裕がなくなれば生物の本能に従うのは当然。
…だったら、人間も同じではないでしょうか?
人間だって、後付けで成立した人間のルールに従い続ける必要はない。
頭脳や体力に余裕がなくなれば、本能や生理に従っていい。
そうしなければ健康を維持できなくなり、最終的には死んでしまう。
そんな単純なことに、今更ながら気がつきました。
でも、生物のルールって、けっこう融通がきくんですよね。
体調不良も疲労も、ある程度我慢できます。
ルールの順守の実行を先延ばしにできます。
だから、ついつい人間のルールのほうを優先しちゃうんですよね。
そしてそれに慣れてしまって、いつまででも延期できる、または延期している間に自然に解消すると誤解して、結果、心身が破綻する…。
そんなバカを私はこれまで何度も繰り返してきたんですね orz
今後の仕事について
ちょっとずつ、研修内容がきつくなってきています。
今後の研修や本番の講義で、さらに心身に負担のかかることを要求されるかもしれません。
そんな時、私はついつい『大丈夫! やれる!! ちょっと無理をすれば、それくらい!!!』と考えてしまいます。
が、その小さな無理が重なっていつの間にか悲壮感しか感じられない毎日になって鬱になって逃げ出す、ということをこれまで何度も繰り返してきました。
研修を受けたら必ず講師となるわけではなく、講師の支援業務にまわることもできるようです。
期待や見栄や標準に惑わされず、長期に影響する選択の場面でこそ生物のルールを優先したいものです。